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高知出身で10代の半ばに地元音楽シーンでプロとして仕事を開始。上京後も俳優でありブギウギピアニストの「ブーちゃん(市村俊幸)」に可愛がられ、同時に六本木Body
and Soulの「京子ママ」に見出され、後に「菅野光亮」「八城一夫」「清水潤」等との出会いがあり、「児山紀芳」の紹介で当時のレコード業界と接点が生まれる、「内藤やす子」と米国に遊学に行っている。「ビリー吉田」がビクターで立ち上げた“Zenレーベル”第一号アーティストとなるが、結局ビクターから出せたのはシングルのみで企画が頓挫、その後ビクターでは「金子晴美」「マリーン」等が続いた。レコード業界的に進路を絶たれた堀江は直後に、「北村英治」「世良譲」「鈴木章二」といった人気スングバンドで本格的ジャズシンガーとして実戦的キャリア積んだ、「テディ・ウイルソン」「ナット・ピアス」等との共演の機会を得ると同時に「森寿男とブルーコーツオーケストラ」のシンガーであった「佐藤マサノリ」と“ビーバップヴォーカルズ”を結成、後に“Flyin'Cab"となり、「シャープスアンドフラッツ」「ゲイスターズ」「アロージャズオーケストラ」と、著名オーケストラと数多くの仕事をこなすこととなった。ジャズの仕事が一区切りすると、すぐにゴスペルの指導、アレンジなど、黒人アーティスト達との活動が始まり、平井堅やEXILEのツアーメンバーでもあり、ケミストリーなどの歌唱指導者、「グリニス・マーティン」等、フュージョン系アーティスト達の指導的立場で仕事を提供、同時にヴォイストレーナーとしても国内外のシンガーから大きな信頼を得る。作曲家、「三木たかし」の依頼で多くの楽曲の作編曲、プロデュースを行い、同氏のラジオ番組“三木'ズライブハウス”で音楽ディレクター、アレンジャーを5年間行っている。
その他にも“セサミプレイス”の統括プロデューサーとして、楽曲提供、音楽プロデュースを5年、プレステのゲーム音楽、“アトリエシリーズ”ではCD化された作品がそれぞれ8万枚を越すビッグヒットが今なお続いている。三木たかしの作品では“ジャズ歌謡”で有名になった「ラブバラード」は堀江がアレンジ、歌唱指導、伴奏、レコーディング全てを行い、売れ続けている。そんな中、秋川雅史の「千の風になって」当時ヒットのない本人から直に頼まれ1時間足らずのレコーディングで即興で弾いたピアノ、アレンジから生まれた大ヒットである。
※上記表記におきまして、すべて敬称を省略させていただきました。ご了承ください。
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